22photo:Yumi Kakeshitaはじめにはじめに地球の悲鳴が聞こえる。それは極寒の海で氷山が崩れる大きな音でもなく、屋根を剥ぎ取る暴風の吹き荒れる音でもない。日本の片隅の小さな町でも、山や海そして空、生き物たちの囁くような悲鳴が聞こえる。そして悲鳴は日ごとに大きくなっている。草木は、年々強まる夏の日差しを耐え忍んでいる。秋が短くなり、12月の空の下で鮮やかな赤色の紅葉とモンシロチョウを目にした。カマキリがいて、花にはミツバチがとまっていた。緑に囲まれた診療所から西に20分ほど歩くと、「日本のウユニ塩湖」として有名になった「父母ヶ浜」がある。20数年前の埋め立て計画から奇跡的に生き残ったこの浜には、観光客が押し寄せ、かつて風情のあった昔の姿は失われてしまった(詳しくは『季節の中の診療室にて 瀬戸内海に面したむし歯の少ない町の歯科医師の日常』小社刊を参照)。早朝に大きなゴミ袋を持ち、この「父母ヶ浜」に降り立つことから、私の1日が始まる。気づくと2000日以上もそんな朝を過ごしている。当時埋め立て計画を阻止するために奔走し、その時に立ち上がった、月に一度浜のゴミ拾いをするボランティア団体の創設メンバーとなった。やがて埋め立て計画も消滅し、自分自身の出張が続くようになったこともあり、この団体からは距離を置くようになった。そんなある日の早朝、人影のない父母ヶ浜に足を運ぶと、期待どおりの絶景を目にすることとなった。しかしその喜びは一瞬で消え去る。足元に広がる漂着ゴミの帯。波の音の中に海の悲鳴が聞こえるように思えた。流れ着くゴミのほとんどは、瀬戸内海沿岸から投棄、流出したものである。そしてゴミは次の潮でまた海へと還っていく。その日から毎朝漂着ゴミを拾い上げようと決心した。ゴミを拾い上げながら、時間とともに色彩を変えていく絶景を見上げ、時折スマホでそれを切り撮る。砂photo:Yumi Kakeshitaphoto:Yumi Kakeshitaはじめにはじめに地球の悲鳴が聞こえる。それは極寒の海で氷山が崩れる大きな音でもなく、屋根を剥ぎ取る暴風の吹き荒れる音でもない。日本の片隅の小さな町でも、山や海そして空、生き物たちの囁くような悲鳴が聞こえる。そして悲鳴は日ごとに大きくなっている。草木は、年々強まる夏の日差しを耐え忍んでいる。秋が短くなり、12月の空の下で鮮やかな赤色の紅葉とモンシロチョウを目にした。カマキリがいて、花にはミツバチがとまっていた。緑に囲まれた診療所から西に20分ほど歩くと、「日本のウユニ塩湖」として有名になった「父ちち母ぶヶが浜はま」がある。20数年前の埋め立て計画から奇跡的に生き残ったこの浜には、観光客が押し寄せ、かつて風情のあった昔の姿は失われてしまった(詳しくは『季節の中の診療室にて 瀬戸内海に面したむし歯の少ない町の歯科医師の日常』小社刊を参照)。早朝に大きなゴミ袋を持ち、この「父母ヶ浜」に降り立つことから、私の1日が始まる。気づくと2000日以上もそんな朝を過ごしている。当時、埋め立て計画を阻止するために奔走し、その時に立ち上がった、月に一度浜のゴミ拾いをするボランティア団体の創設メンバーとなった。やがて埋め立て計画も消滅し、自分自身の出張が続くようになったこともあり、この団体からは距離を置くようになった。そんなある日の早朝、人影のない父母ヶ浜に足を運ぶと、期待どおりの絶景を目にすることとなった。しかし、その喜びは一瞬で消え去る。足元に広がる漂着ゴミの帯。波の音の中に海の悲鳴が聞こえるように思えた。流れ着くゴミのほとんどは、瀬戸内海沿岸から投棄、流出したものである。そしてゴミは次の潮でまた海へと還っていく。その日から毎朝漂着ゴミを拾い上げようと決心した。ゴミを拾い上げながら、時間とともに色彩を変えていく絶景を見上げ、時折スマホでそれを切り撮る。砂
元のページ ../index.html#1