Webサイトの連載で人気を集める浪越先生が、フォトエッセイ集を出版するというので、楽しみにしていた。浪越先生の人となりをまったく知らなければ、そして歯科医師という肩書だけを見れば、趣味が高じて出したのだろうと、そう思う人がいるはずだ。ただ、ほんの少しでもいい、手に取ってみてほしい。そして、どこでもいいから、ページをそっと開けてみてほしい。そこには、驚くほどの知性と感性が静かに息づいている。どのページにも、浪越先生の社会に対する強い関心と、幅広い教養がもたらす鋭い考察が、新鮮な気づきとともに、そっと囁かれている。雲の色や形、野茂英雄、ダン・ブラウン、夏休みの宿題、ジュリア・ロバーツ、中島みゆきの話が、気づけば、フィボナッチ数列、フロリデーション、カール・ロジャースの働かないアリ、ダニエル・カーネマンの行動経済学、ジョージ・ケリングの破れ窓理論の話へと、知の旅は深く広がっていく。そして最終的には、地球温暖化や人口減少、犯罪や感染症、線状降水帯といった現代社会の課題に、人類がどう向き合うべきなのかという問いに、知恵をそっと囁くように授けてくれる。それでいてまったく堅苦しくなく、自然に心に染み入ってくる。読後には、まるで澄んだ空気を吸い込んだような爽快感が残る。おそらく、浪越先生だからこそ自然の摂理の偉大さを深く理解し、そしてそれをつねに探求し続けているからこそ、そんな文体が生まれるのだろうと勝手に思った。理系の道を目指した私も、自然の神秘にふれたことがあった。これを政界で言うと間違いなく端に追いやられるのは必定なため、言ったことはないが、たとえば熱力学が教える熱放射現象は、数式で証明を試みると膨大な微積分方程式になるが、最終的には、熱量が温度の四乗に比例する(E=σT4)というきわめてシンプルな結論に至る。でもなぜそうなるのかはだれもわからない。実はこの世の中、人間関係も含めてきわめてシンプルな行動原理に支配されているのではないか。目の前に出くわす社会現象も、きわめてシンプルな原理があるのではないか、そんな思いが、ふと心をよぎる。「天災は忘れたころにやってくる」というのは、戦前のエッセイストであり地球物理学者の寺田寅彦が残したとされる言葉だ。曰く、文明が進むほどに天災の被害が累進する傾向にあるという事実を十分に自覚しているのに、人類はなぜ備えることをしないのか、と。考えてみれば、これもきわめてシンプルな人間の行動原理なのだということを、このエッセイ集を読んで気大野敬太郎 自由民主党衆議院議員138推推薦薦のの言言葉葉
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