父母ヶ浜 2000日
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【略歴】香川県出身。父親の仕事の関係で、幼少期は海外で過ごす。香川県坂出市立中央小学校、香川大学付属坂出中学校、香川県立丸亀高校を経て、東京工業大学、同大学大学院修士課程を修了後、富士通株式会社に入社。宇宙開発推進室に配属され、5年ほど衛星機器の設計に携わったのち、同社研究所に移籍し、制御工学の研究に従事。大学4年の時、湾岸戦争が勃発した。研究室に置いてあった14インチのテレビ画面から、激しい閃光弾や、クウェートの若い母親が幼児を小脇に抱えて逃げ惑う姿が映し出された。世界で初めてとなる紛争地帯からのリアルタイム中継映像に大きな衝撃を受け、国というものが国民にとってどうあるべきかを真剣に考え始めた。昼は微積分方程式と格闘しながら、夜は山本草二の国際法や樋口陽一の憲法学、岩田規久男のマクロ経済を独学で読みふける。2004年、父・大野功統が防衛庁長官として入閣した際、その答えを見つけられるのではないかとの妄想から、みずから秘書官を希望し、政治の道を歩み始める。後に父親の政界引退を受けて、自民党候補者公募に応募し、2012年に衆議院議員初当選。現在5期目を務める。づいた。浪越先生は、「どうして人は多くの科学者が警笛を鳴らしている気候変動問題について本気で考えようとしないのか」という問に対して、ノーベル賞学者のダニエル・カーネマンを引っ張り出して、「人間を行動に駆り立てるための障害となる緊急性、確実性、損失という3つの局面」を紹介し、さらに「夏休みの宿題」につなげるあたりは、深くうなずきながらも、何も考えずに遊び惚けていた私の子どもの頃の淡い夏の情景を思い出させてくれた。浪越先生の連載が人々の心を捉えるのは、こうしたきわめてシンプルな人間の行動原理を、読者に望郷の念を思い起こさせるようなみずからの体験を交えながら、読者にそっと寄り添いつつ、深い洞察を囁いてくれるからだろう。その語り口には温もりがある。そして、それはきっと、香川県仁尾町という土地に根ざした暮らしから生まれているのだ、と思わざるを得ない。わが故郷香川県の仁尾町に、かかる偉人がいることを誇りに思う。浪越先生の作品は、そんな誇りを静かに胸に灯してくれる一冊だ。推薦の言葉139 推薦の言葉

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