咋は8くい地震発生時の状況 2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震から1年。復旧が進む一方で、仮設住宅での居住が続き、いまだ元の生活に戻るのが難しい状況もある。災害発生時には、インプラントメインテナンスに通えなくなるなど、さまざまな課題が生じ、歯科医師は治療の進め方に悩むこともあるのではないだろうか。そういった状況においてどのような対応をとればよいかを知るため、石川県羽市に移転開業され、またインプラントロジストとして著名である船登彰芳先生に、地震発生当時の状況やその時の歯科対応について、特にインプラント治療において自院でどのように対応したかを伺った。(編集部)1.能登半島地域について、市で開業された後に金沢船登彰芳 Akiyoshi Funato石川県金沢市開業:なぎさ歯科クリニックQuintessence DENTAL Implantology─ 00081991年に石川県羽咋市で、市内の歯科医院としては12軒目に開業、その後、金沢市に移転開業された船登彰芳先生。編集部:現在、船登先生は金沢で開業されていますが、以前の開業地は能登半島ということで、ご自身の生い立ちも含めお聞かせください。船登:卒業後5年、1991年に開業して、そこからインプラントと歯周病について勉強し始めました。その当時、私は能登半島にある人口3万人弱の羽咋市で開業しました。生まれ育った実家が羽咋市にあり、また砂浜を車で走れるので有名ななぎさドライブウェイがあったことから、歯科医院の名前を「なぎさデンタルクリニック」としました。 インプラント治療について少しずつ勉強し、その当時、私ともう一人の先生が近くで開業していましたが、おそらくその時にインプラント治療は能登半島でわれわれ2人ぐらいしかしていなかったはずなので、人づてに紹介でインプラント治療をさせてもらっていました。その後、インプラントと歯周治療に特化した医院を作りたくて、1998年に金沢に移転開業したというのが、これまでの経緯ですね(図1、2)。編集部:生まれ育った羽咋市で7年ほど診療を続け、その後、金沢に移られたのですね。では能登半島地震が起きた時の様子や、その直後の状況をお聞かせいただけますか。船登:大晦日には歯科医師会から休日診療を依頼されていて、患者さんたちも30〜40名ぐらいいらして忙しい1日でした。半分ほどのスタッフに出勤してもらったので、いいお正月を、ということで退勤してもらい、年を越しました。 私は1月1日の朝9時からずっと1人で自院でプレゼン資料を作ったり論文検索をしたりしていたんですね。16時10分巻頭インタビュー令和6年能登半島地震における一歯科
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